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●学習院大学進学

●18歳、大学一年のとき母をはじめ周囲のすすめもあり、俳優を目指したことがあった。俳優を両親に持つ家庭に生まれ、育った人としては当然の成り行きなのであろうが、父親の無念さを思うと、やはりあとを継ぐべきだろうという考えに行き着いたのであった。

●「生半可な気持ちではできないよ」とクギをひとつさすと、母親は早速手回しよく芸能界デビューに備えてジャズダンス、ジャスピアノ、日舞、ボイストレーニングなどの稽古を用意してくれた。当時は週に10箇所くらいの習い事に通っていた。
 しかし、一方では「自分父親のような大きな俳優にはなれない」という気持ちがいつもあった。「あれが田宮二郎の息子だよ」と言われているようで落ち着かない。実際にはその重圧はもっと大きかった。結局、稽古は長続きしなかった。


●俳優になることを悩み、六本木のディスコや雀荘に通 いつめ、習い事もさぼるようになってきた。
 そんなある日、珍しく母親が怒り口答えした本人に「寺へ行け!」と言ったそう。そういわれた本人は驚いたものの「しばらく親の顔を見ないですむ」と軽く考えて禅寺専攻坊 宇佐美秀慧師を頼った。
 早速頭を坊主にさせられ、翌日から予想外の寺の生活が始まった。
 朝は5時起床後、掃除をして「父母温重経(お釈迦様の親子関係に対する考え方をまとめたお経)」を読まされると同時に自分の内面を見つめ一日中座禅生活を送っていた。はじめの2、3日は座っているのも辛くて、後悔したが4日位から腰が座ってきてごく自然に頭の中で母親のことを考えるようになった。
 自分の人生のどの時代を思い返しても父母にしてもらったことは多く、逆に柴田さんがしてあげたことは数少なかった。「僕はなんて自己中心的で慢心していたのだろう」と思った瞬間、自分の頭の中が爆発するくらいの衝撃があって、体中が熱くなって涙がワッと吹き出してきた。そして母親に対して「申し訳ない、申し訳ない」とつぶやいていたという。

●一週間後、東京駅に迎えにきた母親を見て、涙がぼろぼろ出たそう。
 丸坊主で「すみませんでした」と言う柴田さんを見て母親も目にうっすら涙を浮かべたとか。自分の内心を見つめることが大切なことか、そしてどれほど多くの人たちの愛情で生きてきたのか。それを知ると自分の生をおろそかにできない。それからはいつももう一人の自分を心の中に持つようにしている。迷いが生じたり、自分が刹那的に生きていると思ったときには、寺の生活と母の言葉を思い出すという。

●いろいろあったが、きっぱりと俳優をあきらめたわけではなかった。
 父のことを思い出すと、始めたことを途中で手放すことに後ろめたさが残った。「将来仕切り直すこともあるだろう」と考え、このときは人生の方向転換という形をとった。

 
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