三行社説 2007. 9
9月9日 (日)  純白は難しい


白という色は美しい。
美しいが故に、白さを保つということは難しい。
たとえ点でも他の色身が加わったならば、厳密にはそれは白ではなくなる。
補修したにせよ、白地はどこかくすみを帯びてしまう、
それが白という色の強さであり厳しさだと思う。


今の政治は「純白」を求めている。
新しい組閣に当たっては、たとえ点であろうとも別の色身が見えた場合には
白に近い人であろうとも外されることとなった。


しかし、白を保つということはかくも難しいことなのである。
度重なる「身体検査」を経ても、見つからない染みが後日見つかった。
そこで首の挿げ替えが行われた。
また見つかった、首を挿げ替える必要があちらこちらでまだ必要なようである。


果たして政治に関わるには「純白」であることが絶対条件なんだろうか。
濁流渦巻く世界にあって、唯一潮の流れが凪(なぎ)にある日本国に必要なのは
手腕ある政治家ではないのだろうか。


もちろん「純白」であり手腕を兼ね備えている政治家であれば非の打ち所がない。
しかし、突然に「純白」を求められて応えられる有能な政治家というのは
それほど数はないと思われる。
過失に対する人間離れした能力を蓄えた人か、
生まれてこのかた政治家を目指すための環境を整えられてきた人しか
政治家には今後なれないような気がする。


本当にそれでいいのだろうか。


甘いといわれるかもしれないが、僕は「過去は過去」だと思っている。
例え過ちがあったとしても、繰り返さなければいいと思っている。
でないと、民間から有能な人材が取れない可能性が大となる。
それは非常に恐ろしいことだ。


民主党の横峯良郎・姫井ゆみ子両議員のスキャンダルが随分取り立たされているが、
この人たちであろうとも僕は「過去は過去」だと思う。
国民の命を受けて議員に選ばれたことを肝に銘じて仕事をしてくれればいい。
まずは仕事をやらせてあげたい、そしてその仕事ぶりをしっかり僕は見たい。
(ただし逆切れ行動に出て、自己責任をないがしろにしようとする横峯議員は辞職か離党をすべき)


明日、臨時国会が開催される。
果たして「純白であること」という条件が生み出すものはなんなのだろう。
互いに弱みを抱える与野党が泥仕合を行わないことを心から願っている。


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