三行社説 2005. 5
5月5日 (木)  JR西日本幹部社員よ、この後始末どうするつもりだ??

JR西日本の事故車両に乗り合わせていた運転士2人が
人命救助を行わなかったことで批判を浴びている。
フジテレビの夕方のニュース番組ではご意見番が
人間失格とまで評していた。

これはちょっと行き過ぎだと僕は感じた。
乗客の安全確保よりも自分たちの利益確保を優先させた経営を行い
事故の6時間後の会見で、事故原因も被害者数も把握できていない段階で
事故原因を「置き石」と強調し、むしろ自分たちは被害者だとばかりに
弁明したJR西日本の幹部たち。
そのことを考えると部下2人を責めることは出来まい。

僕がその報道を見た時点で知っている情報から考察すると
その場で救助に回ることは、自分が運転する電車を放棄するということになり
会社からの罰則は免れない。
救助や手当てに精通していない自分たちよりも
救急車の到着を待ち医師などの専門家が携わったほうが
現場管理が出来るだろう。
乗車していた客の安全誘導も警察に任せたほうがいいかもしれない
そう判断し、上司に連絡を入れ現場から立ち去ったのだと思う。
人道的な行為ではまったくないが、この会社の体質から想像すると
こういう考え方も成立するように思える。

新しい情報が入ってきた。
2人の運転士から連絡を受けた上司はそのうちの1人に対し
「遅れずに来てください」と出社を促し、救助を指示しなかったのだそうだ。
やはりそうだったか。愚かな上司め。上司を責めることにしよう。
上司からそう言われれば、懲罰に近い日勤教育を受けるリスクを犯してまで
救助に当たることをしないことは、しごく当然である。

今5月5日の午前2時。
仕事から帰宅しネットでニュースを検索してみると
仰天情報が入っていた。
JR西日本の天王寺車掌区の区長(53)ら43人が事故当日、
「事故の状況を知りながらも」親睦ボウリング大会を開いていたのだそうだ。

笑った。
笑うしかないだろ、これは。
いったいこの会社はどうなってるんだ??

しかもプレー後、事態の深刻さに気づき
車掌区に戻った社員は43人中4人。
22人は懇親会に向かい酒を飲んでたんだって。。。
会社はこのことを今月3日に把握していたにも関わらず
自ら公表しなかった。記者からの質問がなかったら
伏せ通せると思っていたのだろうか。
もう、泣きたいね。こういう報道がなされると。
ただただ悲しい。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050504-00000093-mai-soci


5月2日 (月)  JR福知山線事故を巡り頭に浮かんだこと

僕は高校時代剣道部に所属していた。
3年間で二段を取得した。
三段は取らなかった。
なぜなら僕は3年目は幽霊部員になってしまったからである。

稽古という名前をつけたシゴキがひどかった。
負ければシゴキ、部活を休めばシゴキという体制についていけず
すっかり剣道が嫌になってしまった。
合宿となれば短距離走があり、2人一組で走り
負けたほうはもう1本多く走る。
部員数が多かったので、場合によっては20本近く全力で走らされることもあった。
短距離が遅かった僕は必ず下から5人くらいの中におり、
罰則として腹筋200回などが加えられた。
剣道の稽古前に既にヘトヘトである。
ようやく防具をつければ、大学から来たコーチの突きをしこたま受け
首周りは裂傷ができ、それを理由に1回稽古を休むと
次の稽古では稽古量やシゴかれる量は倍になった。
体力・技術・精神力のすべてのレベルアップを図ろうと
上級生は必要悪を後輩である僕たちに課した。
結果、僕は突かれることが怖くなり腰が引け気味になってしまった。
すると今度は恐怖心を見下され、それを正そうとさらにシゴキが加えられる。
もう剣道そのものが嫌になってしまった。
部活をサボる。罪悪感を持ちながら、部員に見つからないように
コソコソと学校から帰る。
道場さえなくなれば稽古をしなくて済むかと、放火まで考えた。
高校時代の僕の最悪な思い出の1つである。

こうした記憶が強くあるので
僕は教師時代に勉強をしない子や勉強が出来ない子に対し
罰則は設けなかった。生徒の成績に対し出来ないという理由で揶揄はしない。
時間をかけ出来ない点を分析し生徒と向き合い、出来るまで教える
もしくは点数が取れるまで再試を行うという教授法を取った。
間違いによって点数が引かれることに生徒は想像以上にストレスを感じている。
いったん勉強に対し嫌気や恐怖心を生徒が持ってしまうと
そこから脱却することは非常に難しい。
点数は引くものではなく、加算式にすべきというのが僕の持論だった。
点数が取れないのであれば点に見合うだけの量や行動をやってもらえば
標準点の到達させてやったっていいではないか。
出来なかったからと赤点をつけ生徒を退学させることは
教師の恥と僕は考えた。
赤点を取らせないために生徒のことばかり考えていた。
勉強で分からないことがあれば、24時間いつでも電話で指導すると生徒に伝え
直接教えていない生徒からの質問にも答えた。
学校と交渉し、授業前に週に2回読書会を行い小説を読んだり
夏休みは高校3年生を対象にした文法と長文読解のクラスを設けた。
すべてタダ仕事だった。
合理的な仕事のやり方ではなかったが、そうした教師の行動が
生徒に役立つと思ったので試験的に3年間行った。

現在は塾で教えているが、教えることに対する姿勢はほとんど変わっていない。
人に物を教えるということは非常に難しく時間がかかる。
やる気がない、勉強する姿勢や気持ちがなっていない時には叱る。
嘘をついていると感じた時には怒る。
何度やっても出来ない文法については怒らない。
出来るまで指導を繰り返す。
学生だからと甘えるな。君の本分は勉強なのだから
学生のプロになり苦手を克服する気持ちと努力を持てと
熱く生徒に話をするようにしている。
時間と気遣い、労力は給料に見合わないと思う。
非常に非合理的な方法である。
でも、生徒がのびのびと持っている素質を延ばすためには
そうした土俵が必要だろうと僕は信じている。

今回のJR福知山線での脱線事故の運転士はどういう環境で働いていたんだろう。
JR西日本は民営化後、阪急電鉄との競争に勝つために
止まる駅が増えているにも関わらず20分近く以前より早く車両を運行させ
それに伴い車両を軽量化。
利益が前年度に比べ25%以上アップしているというのに
安全面への設備投資はコストダウン。
日勤を23時程度までさせ、数時間休憩を与えて早朝から仕事をさせる。
さらに乗務員に対する罰則を強化し、ミスを犯した者に対しては
ボーナスを含めた賃金カット、ホームに立ち運行ダイアに遅れを出してしまったことを詫びる敬礼を
数時間続けるという懲罰、反省文、草むしり、窓掃除。
こんな自尊心までもズタズタにする過剰な指導があっていいものだろうか。

もちろん乗客の運行に著しい影響を与えることがあれば、
運転停止や再教育という処分を会社が出すことは当然である。
だが処罰は1秒単位の遅れに対し活用されていたと聞く。
数秒単位の遅れに対しては再教育ではなく、処罰が適応されていたであろう。
こんな緊縛的な体制の中で全員がまともな仕事が出来るのだろうか。
実際は40mのオーバーランだというのに車掌も加わり8mという虚偽の報告が出された。
嘘をつかないといけないと運転士と車掌が結託した理由はなんだったのか。
罰則から逃れミスを解消しようと必死になれば
人間誰でもほかに対する気持ちは消え、焦り自己中心的な行動と考えに陥る。
賃金カットという肉体的な罰則と謝罪や常務停止もしくは運転資格剥奪という精神的な苦痛。
1分30秒の遅れを取り戻そうと運転士が必死になった結果どういうことが起きたのか。
107人死亡という大惨事である。
罰則と合理的な利益主義の歪みの結果がこれである。
犠牲になったのは誰なのか。
そのことを考えると辛くなる。

単なる一過性の事故報道と考え時に任せ忘却の彼方へこの事故を葬ることはしてはならないと僕は思った。
教訓として利益とは違う何かが必要だということを感じ取り自分の生き方にフィードバックさせることが
僕が唯一出来る犠牲者に対する弔いかただと僕は思った。


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