三行社説 2005. 4
4月15日 (金)  ゆとり教育施行3年で撤退

去年末に発表された15歳児に対するOECDやIEA実施の国際学力調査の結果を踏まえ
中山成彬文科省大臣は「ゆとり教育」の見直しを表明。
中教審は今年の秋をひとつのめどに学習指導要領の見直しを打ち出し
早ければ06年度にも改定される見通しとなった。
事実上3年前に断行された「ゆとり教育」の撤退である。

いったい何度大枠を変えれば気が済むのだろう。
教育方針とそれに伴う指導要領を変えるということは、
家を建てることに例えれば
大黒柱と屋台骨すべてを交換するようなものだ。

3年前、完全学校週5日制を柱とした「ゆとり教育」導入に対し、
社会では否定論が大半だった。
現場の教師たちも悲鳴を上げた。
が、次の瞬間には血相を変え対策に取り組んだ。
時は止まらないのだ。
トップダウンのお達しがあった以上、
このカリキュラムで授業を成立させなければ生徒たちが路頭に迷う。
生徒を迷わせることは学級崩壊という致命傷となる。

情報量の多い現代社会の中で
生徒の関心を学問に集中させることは年々難しくなっている。
ただでさえ授業数が少なく生徒に基礎知識を蓄えさせられない状況下にあるのに
さらに時間数を削る。
教える内容は教科によって3割近く勝手に削られ
章ごとの繋がりを見出せず教師自体が困惑する状況が多々生まれた。
現場から苦渋の声が噴出すると、
トップダウンした側は
今まで「教える限度基準」としていた指導要領の扱いを
「教える最低基準」という意味合いの言葉に置き換えるという
ものすごい離れ業で対処。
週3時間も盛り込んだ「総合的な学習の時間」にしても
生kに「生きる力」と「自ら学び考える力」を培わせるという理念ばかりが先行し
現場から具体策をと問われても、最後まで納得ゆく形での提示はなかった。

個々の教師や学校がほぼ孤立無援の状態で授業計画を練り
試行錯誤を繰り返し反省と工夫を重ね1年が過ぎた。2年が過ぎた。
3年目を迎えようやく教師も慣れ、進むべき方向性が見つかり、さぁこれから!
というときに、この事態である。

変えた本人は良心ある現場の教師をどう考えているのだろう。
良識ある現場の教師はどう受け止めているのだろうか。
あまりにも無力ではないか。

僕にはよく分からないのだが、ゆとり教育からの大転換を誘発させた
この2つの学力調査にはいったいどんな効力と拘束があるのだろうか。
教師として現場に立っていても注意を払ったことがない。
僕が教えている教科が数学や理科ではなく、英語だからかもしれない。
ただ、もし僕が調査対象教科を教えていて
この調査結果が生きていくうえで非常に大切なものだと知っていれば
(モチベーションが百歩譲って「国家の威信(ふざけんな)」でも構わない)
いい成績が出せる対策を『必ず』授業の中で行っているだろう。

自分の分野で話すが
TOEFLだろうがTOEICだろうが、英検、国連英検、ケンブリッジ英検、なんでもいい。
対策を講じず高得点が望めるものは1つとしてない。
学習院大学への入学を志望する受験に上智大学や慶応大学の過去問はやらせない。
試験にはそれぞれ傾向があるからだ。
「基礎的能力」と「応用力」と「傾向把握」があってはじめて高得点が望める。
もし国家として高得点をマークしたいのであれば
大きな機構交換は必要ない。
この試験を視野に入れた教育指導要領案の改訂で済む程度のことだ。
それよりまず、この試験が本当に大切だと認識していたのであれば
国家をあげこの調査に対する対策を授業の中に盛り込む、といった類の文言が
過去の指導要領の中に一言あって当然である。
見返しても直接言及が見当たらないのはどういうことだ。

OECDの試験で日本人の読解力が下がったことが明らかとなったそうだが
問題を見ると、文章のほかに図やグラフが示されており
それを結びつけ思考し答えを出すといった類の問題である。
こうした問題で点数を落とす原因は
1つは、この種の問題に対する慣れがなかったということ。
もう1つは、問題の意図を図る能力が下がったということである。
読解力の低下という単純な言葉では片付けられない。
こうした問題を通して結果が得られないということは
より総合的な思考力に時間と労力を割く必要があることを示唆している。
となると、むしろゆとり教育をより推し進めるほうが結果が出やすいのではないか。
少なくとも、読解力の低下の原因はゆとり教育と別のことと僕には見える。
総合的な学習の時間を運営する教師の資質や教授法の問題である。
現場のテコ入れ、これこそが学力調査の結果を受け文科省がやるべきことなのではないか。
教育にゆとりは必要かと尋ねられたら、僕は答えに迷うだろう。
しかし授業にゆとりは必要かと尋ねられたら、僕は迷わず必要と答えるだろう。
(授業の中のゆとりについてはまた別の機会に書くことにする)


現場はまた混乱する。
今年度の授業は始まったばかりだが、
来年の授業が新しい指導要領で動くとなれば
教師が新年度に思考をめぐらし教科準備に入るというのは
責められない。
最悪の場合、ゆとり教育関連の授業は指導が空洞化するだろう。
3年間今のカリキュラムを受け来年小学校高学年を迎える生徒たちは
ゆとりの消えた授業についていけないかもしれない。
いつも最大の影響を受けるのは教室という教育の最前線の現場にいる
子供たちと教師だ。

なぜ、たかだか3年で見切りをつけられるのか。
5000人足らずの生徒の試験結果で判断していいのだろうか。
3年で目覚しい成果が出るのであれば、
日本はとうに不況を乗り越えていただろう。




OECDの学力調査結果ならびに文科省の分析結果はこちら

http://fish.miracle.ne.jp/adaken/link/test.htm


4月14日 (木)  対中関係の緊張化

安保理常任理事国入りの問題、教科書問題、そしてガス田開発問題。
加速度を上げて日中関係が冷えていく感がある。
反日デモも大規模で、今週末には北京をはじめ広州、天津、藩陽、成都、西安
といった都市の名前もあがっており、しばらくこの問題は鎮火しないような情勢だ。
先人が苦労して築き上げてきた中国との関係を、どうしてこんなにも簡単に
崩せるのか、崩すような他国の理解ない行動を我が国が矢継ぎ早に行ってしまったのか
理解に苦しむ。

対中関係だけではない。韓国とのつながりもおかしくなって来ている。
もちろん相手国にもおかしいと感じることは多い。
だがここ2ヶ月に日本国内で起こった論争を考えると
どうもおかしいのは日本ではないかと僕は思ってしまう。
竹島問題、憲法9条改正に対する自民党試案、軍隊としての自衛隊という位置づけ、教科書問題、
OECDの試験結果を受けての文部省の反応、教育基本法改正(「愛国心」と「宗教教育」について)、
日本の常任理事国入り問題にガス田開発問題。
なにか周囲国に配慮なしに自分たちの主義主張を声高に謳ってきたような気がする。
あんな教科書を認定した一方で常任理事国入り?
周囲国にはどうあっても受け入れられない考え方を日本は歩んでいるのではないだろうか。

テレビで年端もいかない小学生らしき男の子までもが
日本大使館に投石をしている姿を見ると心が痛む。
彼に直接聞いてみたい。
君は自分の意思で石を投げているのかい?
自分の意思で投げているのだとすれば、
自分の意見の根底にあるものは教科書に書かれた史実かい?家族の話かい?
中国政府の発表を信じて? それとも最近の日本の政治動向かい?
それをどう取り込み、どう解釈して石を投げるという行為を正当化してるんだい?

この2ヶ月間の両国の緊張関係の原因を
日本の子供たちに尋ねられたとしたら
果たして僕は納得のいく答えを出せるであろうか。
ことの白黒で答えるのであれば、これはこっちが悪い、
あれはこっちが悪いと答えられるだろうが、
総じるとどっちが悪いの?となると
だれも答えられないのではないだろうか。
互いの立場を主張し続ければ、緊張関係は永遠に続く。
両国のともの繁栄を視野に入れた腹を割った話し合いを
両政府に求めたい。

おりしも次回のオリンピックは開催地が中国・北京である。
僕は選手たちの熱のこもった活躍や感動を今から期待している。
それに水を差すようなことを政府間がしないこと、
応援に行く日本人や出場する選手たちが不快な思いをせずに
楽しめる環境を外側から築くことを僕は望んでやまない。





4月2日 (土)  万博後も韓国・台湾からの観光客ビザ免除

日経ネットに、先月の27日に北側国交相が
愛知万博開催時期に限り韓国と台湾からの旅行者がビザを持たずに
日本に渡航出来るという枠を、万博後も続行させたいという意向を示し
法整備にあたる方向にあることを表明したという記事が載っていた。
ビザを免除する理由は、去年614万人だった訪日観光客の数を
この5年のうちに1000万人にしたいから、というものだった。

http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20050327AT1F2700527032005.html


大丈夫か日本?
こんな安易な理由でやっちゃっていいの??
表明するなら、同時に治安に関する具体的な措置の展望なども
発表するというのが筋なんじゃないだろうか。
しかもいきなり2ヶ国の観光客に対して免除というのは
随分思い切りがいいものだ。
去年の12月3日に町村外相は韓国からの観光客について
万博開催中はともかくそれ以降については「時期尚早」と答えているが
4ヶ月弱の期間で問題は解決したのだろうか。

http://japanese.joins.com/html/2004/1203/20041203194912200.html


いやむしろ問題は新たに浮上した。竹島の問題である。
このことを巡り両国間の関係が揺れ、
一部ではきな臭い行動も起きていると連日報道されている。
愛知万博開催中に何か大きな事件が起きなければいいなぁ
と思いながらニュースを見たりもしている。

ましてや日常的なマフィアの問題もある。
僕には福建省あたりから生活費を稼ぎに道に立つ
若い女性の友人もたくさんいる。
飲めば、そういう話が彼女たちの口からこぼれてくることもあるのだ。

僕は民族間に依然深い影を落とす歴史上の負の財産が
各国間の計らいにより、解決策の1つとしてビザ免除という形をなし
国と国の距離を縮める策を模索しているのだというのであれば
素晴らしいことだと受け入れたい。
しかし、現状ではそうではない。
だとすれば残念ながら危機管理の甘さを露呈する発言としか
受け止める術はない。


4月1日 (金)  謝れない人

企業家としての実力や戦略はあるし話題作りもうまい人だとは思うが
自分自身のイメージ戦略はないのかなぁと思う人がいる。
ホリエモンのことである。

テレ朝の夕方の番組だったか、インタビューに答えていた堀江氏が
逆にインタビュアーに尋ねた場面があった。
たしか、自分が悪役のように言われているのは、自分が嫌われるようなことを
しているからなのか。それは服装?顔?雰囲気?何なの??
といった内容だった。

ちょうど彼が既存のメディアに対し挑発的な言行動を取っていた立場から
突然柔軟姿勢に変わった頃のことだったので、インタビュアーは
外見の問題ではなく言動が問題を引き起こしているのだと説明していたが
堀江氏は「そんなことは言っていない。たまたま口走ったことを
マスコミが過大に伝えているせいだ」といった類のことを話していた。
今では「妄想」という言葉ですべての質問に応対しているようである。

しかし僕が見聞きしただけでも彼はやはりメディアを殺すということを
口にしている。  参考:http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html
こうしたことを「言った・言わない」の水掛け論に持ち込むことは
通常いい印象を与えないのではないだろうか。

僕は株式の時間外取引は汚いとは思ってないし
資本主義社会なのだから収益を上げるためにM&Aをし
展望を持って未知の世界に飛び込む姿は勇ましいと思っている。
ただ彼が選択している道や行動は、どうもマスコミ全体を
敵に回しているような気がしてハラハラする他人事ながら。

どこか1つの番組でもいい。
当時はとにかく理想が先行してしまって
そんなことを口走ったかもしれないけれども
実際勉強してみたら、なるほど難しい問題がありますね。
いやはや勉強の毎日ですよ。移動の時はラジオ聞いてますよ。
くらい、チョコっとでいいから嘘でも言えないものだろうか・・・
そうすれば世論はもっと堀江氏の後押しをするだろうし
現場のスタッフの意識も変わるのではないだろうか。

メディアという閉鎖社会に風穴を開けてくれるのではとの期待感から
若者を中心に大きな支持層が出来ていると聞くが
責任もって対応すべきことを棚上げにしても
金さえ儲かればいいといった風潮が広まるのではないかと
危惧している。

金銭について語ることをタブー視する日本的な考えに変化が訪れることは
素晴らしいと思う。
しかし、ならばなおさらどこかに日本的な爽やかさがあるべきだと僕は思う。
肉体(少し痩せたらどうですか)と精神の両面に。 どちらかでもいい。
どうせならそうしたモデルを示してもらいたいと僕は思う。


ライブドアの一件についてもう1つ。

この騒動を受け、自民党は株式交換を用いて外国企業が日本企業を買収する三角合併の解禁を
1年先延ばしにすることを決定した。会社法の見直しである。
ところが小泉政府は今から4年前に、来年までに対日直接投資残高を倍増させると宣言していたはず。
参考:http://www.keizai-shimon.go.jp/explain/pamphlet/0310/07/

このネジレ現象をどう考えればいいのか。
どうもまた日本という国はその場しのぎの案によって
堂々巡りをしてしまうらしい。
うーん。。。頭が痛い。


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