4月26日 (金) メディア規制三法案
通例として内閣が国会に提出する法案はすべて 与党の事前調査を通らなければいけないことになっているらしい。 たとえ小泉首相がある改革案を国会に出そうとしても、 事前に自民党の政務調査会や総務会で了承されなければ 法案として国会に提出できないしくみである。
これが与党における事前承認制度だ。
そうなると、ある法案が国会にあがる時には 既に既得権に傷をつけないよう骨抜きにされており、 あとは儀式としての討論が国民の前で「国会中継」という形で展開されている、 これが実情のようである。
となると、連休明けから審議が始まるいわゆる「メディア規制3法案」 特に24日と25日の参院本会議で趣旨説明が行われた人権擁護法案と個人情報保護法案は 会期内に可決されるのであろう。
政府の見解は大まかに言えば、日本でもIT化が進み個人情報が コンピューターで一瞬にして引き出されるようになった今、 個人のプライバシーを守る法律の立案は必須である、ということだ。
それに対する形で異議を唱えるマスコミ。 この法案は憲法が保障する「言論の自由」にまっこう対立するもので 市民の知る権利を阻害し、 権力者たちの疑惑隠しを目的とした取材制限法の色が濃いと反対している。
取材をする側から言わせてもらえば、これは「目の上のタンコブ」である。 実際僕が番組でなにかを取材することになれば これが大きな障壁となるだろうことは十分予想される。
たとえ小泉首相がこの法案でメディアを規制する気は 毛頭ありませんよぉ~~!と言っても マスメディアの監査をするのが第三者機関ではなく主務大臣であること また一端制定されてしまえば後の内閣が拡大解釈し 規制をしてくることも考えられる。
やはり報道取材は今まで通りには行かなくなるだろう。
ただ、人権擁護法案の趣旨説明として森山法相が使った「過剰な取材」 という言葉は、僕の胸に刺さった。 今回こういう運びになってしまった一因にマスコミのありかたは関係ないのだろうか。 これは甚だ疑問なのだ。 率直に言えば政府案もマスコミも、どっちもどっち。 これからの審議などによって僕自身の考えは変わるかもしれないが 僕が思うことを今記しておきたいと思う。
まずマスコミに思うこと。
少し長くなるが僕がどうやってこの世界に入ったかというところから説明したい。 僕は1995年10月2日、「おはよう!ナイスディ」という番組の司会兼キャスターとして テレビに出ることになった。 キャスター依頼の打診があったのはその年の4月、フランスに語学留学をしている時で 9月まで勉強した後はアメリカのとある大学院で環境論をいかにマスコミに取り上げてもらうか という方法論を勉強することが決まっていた。 散々悩んだが、机上の理論を勉強するよりマスコミの中に入ってしまったほうが近道かも と考え、お引き受けすることとなった。
マスコミについてド素人だった僕は8月からフジテレビの社屋で自分が担当することになる番組の 調整室で1ヶ月、仕事の内容を覚えた。 ほんとうに1からのスタートだった。
1月あたり経ったころだろうか。 そろそろ現場に行ってみるか、ということになった。 通常の取材は、カメラマン・音声・ディレクター・リポーター・運転手の5人で動く。 これを1チェーン(ワンチェーン)と業界では言う。 そこに同行させてもらった。
取材は事件。 埼玉の女子大学生が就職が出来ずにノイローゼにかかってマンションの屋上から飛び降りた というものだった。 ディレクターは出発前に情報を整え、行きの車の中でリポーターと打ち合わせ。 現場に行くと聞き込みを始め、新聞の情報を加味してリポートを取っていく。 しかしなかなか近所の声は取れるものではないし、第一そうした声を取りに まったく関係のない人の家をピンポンしていく手法を快く思わなかった。
聞き込みをして取れた最大の情報は、お通夜がどこそこ会館で行われるということだった。 我々は向った。
現場に到着しディレクターが遺族に交渉。 亡くなった女性はどんな精神状態だったのか、自殺を予感させる前触れはなかったのか、 遺族の心境は、ということが交渉の題材に上ったんだと思う。 一般人の僕にして見れば考えられないことである。 関係のない人には関係ない。 そっとしてほしい。 自殺なのだよ、自殺。 それがテレビで放送? おかしくないか。
結局交渉決裂。 しかしクルーは粘る。 外で待つこと3時間、とっぷり日が暮れたころである 親戚の方が2人出てきた。
撮影用の明かりをつけるカメラマン。 マイクを突きつけるリポーター。 当然口論になった。 「お前らはどこの局だ! 親族だけでしめやかにやって取材を断っているのに そこまでやるのか!!」 良心はないのかと聞かれ「仕事ですから(ごもっとも、彼女に非はない)」と答えるリポーター 切れまくる親戚陣、泣き出す女性ディレクター。 まさに修羅場だった。 ディレクターがスタッフ・ルームに電話すると責任者から「なんでもいいから1本出切るよう、素材を取ってこ~い!!」の声が受話器ごしに聞こえる。
僕はなんという世界に自分から好き好んで入ってしまったんだろう、と 取材1発目にして思いました。 しかもボツ。
一般では「あぁ、そういうことがあったのね、可愛そうねェ」で終わることを この人達はほじくり返し、しかも社会現象と関連つける形ではなく一過性の取材で 番組の時間を埋めようとしている、と嫌悪感すら抱いたことを今でも忘れてはいません。
自戒の念を込めて言いますが マスコミの取材方法は往々にして傲慢だと思う。 自由競争の世界だからとスクープを取りに 他社を出し抜くために被害者・関係者に相手が精神的ダメージを負っていることも お構いなしに取材をかけ、 「これが正義だ。 自分たちには伝える使命がある」と 自分たちの論理を押しつける。 その傾向は今は一時より良くなったかもしれないが、相変わらずの部分も多く感じる。
特にマスコミを疑問視してしまうのは一般人を扱う場合である。 例えば、いじめ取材。 こうした場合特定されるのはおおかた自殺した子供の情報および学校だ。 だから取材はその2点から始まる。 自殺の原因になった生とはどんな子か、学校はいじめの事実を把握していなかったというのは怠慢行為ではないのか、責任の所在をはっきりせよ、と学校側に迫り あとは自殺した子供の家周り、また子供達のことをその学校の生徒に聞いて回る。
これが一過性の取材ではなく社会現象の1つとして、番組時間の大半を使って なぜこういう子供達が増えてきたのか一般論も含めた広がりを持つ討論に発展させると言うのであれば 納得できる。 しかし、おおかたは一過性の話題として扱い、名乗り出ない加害者を責め責任の所在をはっきりさせない学校をを憂い、「自殺はしないで下さい」とテレビに呼びかけるだけなら放送するべきではないのだ。 放送することでいじめに遭っている子や寂しい子は逆に感化される危険性だってあるのだから。
たとえ事案を扱ったところで例えば遺書に名前が乗った「原因とされる子供達」のところまで 取材の手が伸びることは稀である。 礼を尽くして対話を許された長期取材のジャーナリストにお任せすることであろう。
最終的には僕は元教師の立場からいじめ自殺の取材はやめましょう落しどころがないのなら、と 申し出、それ以来することはなかったと記憶している。
(その代わりいじめ防止のキャンペーンを張らしてもらった。 1ヶ月で1000通以上の反響があり現在いじめで悩んでいる子供には 電話番号が記載してある場合のみ僕が直接電話で話して話を聞きました。 膨大な時間と電話料金がかかってが、それに理解を示してくれたプロデューサーには 今も感謝をしている。 それを本にしたいという上層部からの申し出もあったが 私信として番組で受けつけたということもあり送り手との信頼関係を損ないたくなかったので 辞退しました)
こうした一過性として事案を扱い、後フォローをするマスコミはほとんどない。 レイプ事件もそうであろう。 僕が扱った事案でいえば報道規制がかかっていたにも関わらず 取材陣がスクープ狙いで取材をかけた95年沖縄で起きた3人の米兵にレイプされた 14歳の中学生などもマスコミに不必要に追われた被害者の一人であろう。 こうした被害者やその家族・関係者の側からすれば 〆きりに追われ場当たり的に取材をするマスコミなど これを機に規制・粛清されればいいと思っているのではないかと思う。
一部の雑誌・新聞を読んでいて、いつも腑に落ちないことがある。 よく「関係者の話では」とか「芸能リポーターA談」といったように 情報ソースを匿名にして書いている記事がある。 マスコミは関係上取材ソースは明かせないというけれど ソースを明かせない情報を「事実」と突きつけるのは、おかしいのではないか。
「あなたたち(マスコミ)に言うと、どう伝わるか分からないから」 という政治家の発言をテレビでよく目にする。 なあなあになることは断じてよくないが、 このように不信感をあからさまに表立てされるのはどうなんだろう。 結局マスコミは騒ぐだけ騒いで煽ってかき乱してると思われる存在になってしまったということか。
前にも書いたが田中真紀子議員の扱いについて。 もちあげる時は持ち上げて、秘書問題の疑惑が出てきたら徹底的に叩く。 そしてまた参院新潟補選で自民党が負けると「いよいよ真紀子新党か!」とやる。 すべてを通してみると、何を言いたいんだろう。。。 彼女に人気があった時に、彼女の政治の実力を問うたマスコミがどれだけあったのだろう。 自由競争なのだというのなら、もっと目や耳に入ってきてよかっただろうに。 市民感情に阿って(おもねって)いるのだろうか。
山崎拓議員の愛人問題。 これを報道することによって何のメリットがあるんだろう。 失策を問われるのならば話は分かる。 常に型どおりの発言を繰り返し面白味がなく行動力が感じられないので 聖域なき構造改革を旗印にする小泉内閣にそぐわない、というなら話は分かる。 しかしこれはあくまで「公人の私人の部分」であって それが仕事に差しさわりを作っていないのであれば、どうでもいい話だ。 愛人と話の折り合いがついていないのであれば、個人で責任もってやってもらえばいい。 自民党のイメージを悪化させた? いま始まった話じゃない。 自民党が機能し小泉内閣が行動力を伴ったビジョンを打ち出せていたら こういう展開にはなっていなかったであろう。 山崎氏はスケープゴートに他ならない。 参院補選選挙での自民敗北のすべての責任を背負わされ愛人問題のレッテルを貼られ 連休明けに辞任をするのではないか。 あまり好きな政治家ではないが辞任への路線はマスコミが引いたものだと僕は思う。
結局この法案は、競争意識にかられる一方である部分談合のように意識を一にするマスコミが 節度意識の希薄、情報取捨選択機能の低下、自浄努力の欠如といった要因から 自らが自らの首を絞めた結果だと思う。 マスコミは形のない情報というものを食いすぎて成人病に前から冒されていたのだ。 いつ規制という名の診断が下ってもおかしくない状況であったことを マスコミは枠の中にいるがゆえに見えなかった。 見て見ぬふりをしていたのかもしれないが。
一部のマスコミはこのメディア規制法を権力者優遇の法案で市民の知る権利を束縛すると (市民に)訴えて(アピールして)いるが、 その姿は自分たちの今までの取材方法や伝え方を棚上げし 憲法を楯にとって「表現の自由」という自分たちの既得権益を守ろうとしているようにしか 感じられない。
もちろんこの法案を受けて被害をこうむる良質の作家・ジャーナリストは 大勢いるだろう。 特にペン取材を続ける人の中に。 自分もなにか動けなかったのだろうかと、自分で自分を責めている。
こうなった以上、その法規の中でどうアピールしていくか 自社がどういう理念のもとどういった内容のものをどう取材していくのか これから問われていくのだと思う。 個人情報が引き出しずらいと言うが、逆手に取ればそれほど悪い法案でもない。 不正があれば世論を巻き込み、なぜ情報開示をしないのか 政府や政治家にペンの力を示せばいいだけの話だ。 マスコミはこんな法案に負けてたらいけない。 もっとずっとしたたかで逞しいと、僕はメディアの持つ底力を信じている。
この法案についてマスコミが話を咲かせているのは 言論の自由論ばかりだ。 しかし僕としてはネットの情報がどう管理され 例えば「2ちゃんねる」といったサイトで展開されている 匿名の人物が書く個人の中傷をどう規制するのか、とか 携帯に送られてくるエロ・サイトのメール、ワン切りの対処はどうなるのかとか ダイレクト・メールをどう取り締まるのかとかといった具体的なことを 海外の対処情報とあわせて教えて欲しい。 トラブルが起きた時に民間が相談を持ちかけられる機関の設置など いろいろ必要になってくると思う。 その展望。 また、個人の情報を保護しないとゆくゆくどういった大きな問題に直面するのか 国民総番号制との兼ね合いも含めて、これからの討議・説明を期待している。
しかし今もって疑問なのは、与党ではあるが自民党といつ決裂してもおかしくない 野党出身の公明党だ。 修正の検討を申し入れたということだが、 有事の際、聖教新聞と公明新聞はどうなってしまうのだろう。 最後まで反対すると思っていたのになぁ。
以上がメディア規制法に際しマスコミについて考えたこと。
政府の姿勢については、また今度。
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4月25日 (木) 諫早湾開門調査
5年ぶりにあの「ギロチン」とまで呼ばれた鉄のカーテンが開かれる。 長崎県の諫早湾の話だ。 排水門を解放し、干拓事業がどのように有明海の環境変化とノリの不作に関係あるのか 因果関係を調べるのだそうだ。 しかしその方法は徹底的ではない。 あくまで農水省は場当たり的に干拓事業関係者の顔を立て同時に 水門の解放調査を求めていたノリ業者の顔色を覗い、 調査検討委員会は数年先を見越した段階的な調査を欲しているにもかかわらず 農水大臣は「短期調査の結果を見て改めて考える」とお茶を濁し及び腰である。
この期に及んでまだ古い政治を見せつけるのかという気がしてならない。 族議員が問題視されている今、当時あったことを情報公開もしくはリークがあって しかるべきと強く思う。
そのためにも5年前、僕があの干拓事業を取材した時にあったこと、また感じたこと 歴史的背景を少し書いておこうと思います。
フジテレビの「おはよう!ナイスディ」というワイドショーの中で僕は 著名な方々をインタビューしてました、shall we~?というコーナーです。 そのときに1回だけ人間じゃないものと対談をしようと僕が企画したものがあります。 それが諫早湾のムツゴロウ。 今から5年前の話です。
当時このニュースはその日の出来事の1つ程度の扱いで 視聴者の関心を煽るまでにはいかなかったように思います、 あのギロチンが有明海に打ちこまれるまでは。 数百枚の鉄の板が7キロに渡って楔打たれた映像があまりにショッキングだったため そこから世論を呼び、民主党からは鳩山由紀夫や菅直人議員が視察のため現場入りするなど あれを契機にこの話は公になっていきました。
僕としては人間の恣意的な操作によって生態系が崩されることに疑問を感じたので 率直に会議に出し、ディレクターが話に乗ってくれたので長崎に行けることになりました。
僕のコーナーはが週1回の放送。 水曜日の放送が終われば翌週の水曜日の朝の8時までにVTRが間に合ってさえいれば 都合8日間取材が出来ます。 しかし乗りこんだ当初はまさかそのギリギリの時間までの取材になるとは思っておらず 4日程度で東京に戻り、報道事項であるため逸脱しないようチェックし、ゆっくりVTRを事実に沿って 作成しスタジオで僕が五感で得た情報を伝えることになるだろうと見積もっていました。 ところがこれがまったく違う展開を見せ、ディレクターは情報集めとVTRの作成のために単身 東京に戻り、僕は経験がまったくないのに現地の責任の一切を任され 取材対象を足で稼いで見つけ、なにを撮影すればいいのか2つの撮影クルーに指示するといった 別々の行動を取らざるを得なくなったのです。 業界用語ではこれを「割る」と言います。
普通指示というのはディレクターが出します。 「こういうことを言葉で描写して欲しい」「こんな内容のことを聞き出して欲しい」など。 取材を割るということは、例えば大事故の取材であれば起きうることですが、 ある種一過性の取材では珍しいことなのです。 でも割って二手に分かれて活動をしないと何が問題点なのか、僕達には見えませんでした。 ただ「ムツゴロウの命を守れ」とか「肥沃な海を見殺しにするのか」といった 報道番組が当時落しどころにしていた感情論に落ち着くのは嫌だな、 結果がそういうことになるのは構わないが、開拓推進派の話もイーヴンな形で聞いて それで結論を出そうよ、そんなことを話し合ってクルー全体で取材にかかりました。
僕が記憶するところでは、農水省は干拓事業の推進理由を次のように説明していたように思います。 噛み砕いて言うと、諫早湾には有明海に海流により泥炭がどんどん湾の奥に運ばれ ただでさえ標高が高くない地に住む人達の安全が補償できない状態にある、 雨が降れば諌早湾内調整地の海水が民家側に流れこみ、かつて昭和32年に起きた諫早湾大水害の 教訓を大切に、その悲劇を繰り返さないためにも生態系を破壊することはやむを得ない。 だからここで断行しましょう、こういうことでした。
それに対し「日本湿地ネットワーク」の故・山下弘文代表(1998年環境問題のノーベル賞と言われるゴールドマン環境賞受賞)や野鳥の会などの市民団体が中心となって干拓取り止めを運動を起こした、そのように覚えています。
取材ポイントはおおまかに次の4点 ① 現地リポート ② 地元の人の反応 ③ 干拓推進派のインタビュー ④ 干拓反対派のインタビュー
まずは「日本湿地ネットワーク」の山下代表に諫早での今の活動状況などを含め総括的な話を聞いて 知識を蓄える。山下さんは「干潟の生命力は強いから、短期的であれば土に含まれる塩分は雨で活性化される。 ムツゴロウなどの生物が糧とするコケはそう簡単にはなくならない。なくならないうちに水門を開けさせたい」 と力説。「この行為は人間のエゴなんですか」の問いかけに苦々しく「そうでしょう」とおっしゃった顔を 僕はよく覚えている。
翌日の取材はまず現場を見るところから始まりました。 漁業を捨て今はタクシーの運転手をしている方に船を出してもらい 鉄壁が設けられたとはいえ水位をまだ保っている天明川を上流から鉄門に向って進み 見たままをリポートしてきました。 川の両側には何キロにも渡って貝床が広がって無残な残骸を晒しており 船を下りてその上を歩いてみると「シャリ、シャリ」という乾ききった音しかしません。 3週間前までは立派な牡蠣がまだこんなにもあったんだと思う一方で その牡蠣の貝殻の間から「涌き出る」蝿の大群に口を開けることも出来ず 胃からこみ上げてくるものをカメラや音声に撮られないように必死だったことを よく覚えています。
船を進めると遠めに白い点点が海上に見えてきました。 なにかと思うと、それは死んだグチという魚の腹でした。 ふと目を上げるとその点が無数に見える。 海水が注ぎ込まず水が淡水化したために生きられなくなった魚のなれの果てでした。 1匹手にとってみましたが、腹が腐臭ガスで満たされていて 少し力を入れてガスを出そうものなら、それは強烈なニオイでした。
もともと諫早湾は淡水の天明川に注ぎ込む有明海の海水の満ち引きが良質なプランクトンを生み そのお陰で海産物が豊富に取れたのだそうです。 僕も実際手にしてみましたが直径25cm以上もあるオバケのような牡蠣の貝殻、 昭和40年代にはザラに取れていたんだそうです。 それが生活習慣が変わり科学洗剤を使い始めたり湾を共有する県での工業乱開発などにより 水質が悪化、漁獲高は衰退の一途をたどり昭和50年代頃から漁業権を放棄する家が増え始めた。 先述の諫早湾大水害の教訓もあって話は、緩やかだけど諫早湾閉門・干拓地とする方向に進んでいったようです。
鉄門の手前まで行きましたがあのギロチンには小石がうずたかく積まれており、 設置3週間で既に堤防の態をなしていました。 工事の早さを感じました。
その後、水が引いてクラックだらけになっているけれど十分に水分は蓄えている干潟を 足を取られながらリポートもしましたし、 実際水害によって生活が脅かされているといわれる標高ゼロ地帯も歩いて 僕の足で一跨ぎ出来てしまう防波堤も見てきました。 確かにこれでは生きた心地はしないだろうと感じました。 生物の命と人間の命君ならどっちを取るかと聞かれて 生態系と答えられるわけがない。 あぁ、なるほどこりゃ各局のキャスターがお茶を濁してリポートを締めくくるわけだわいと思いました。 僕自身も気持ちは割りきれないけれどもうかつなことを言うと自分のキャスター生命に関わるかもしれない、 そろそろ潮時かもなこのネタもと、正直思っていたと思います。
一応リポーターとして感じることはあった、スタジオで伝えられるだけの引出しは出来そうだ。 あとは地元の人たちの話、特に諫早湾周辺の住民は実際命の危機と隣り合わせに生活してるんだから 干拓事業推進派であろう、その声を撮れば1本成立する。 僕の感では週明けには東京に戻れるなといったところでした。
ところがそこから取材がものすごく難しくなってしまったのです。 町の声がまったく拾えないのです。
普通に干拓賛成派と反対派の声を取ろうと不特定の市民の方々にマイクを向けました。 1人目の方は赤ちゃんを抱えた30代中盤の男性で、自分が育った諫早湾の移り変わりを見に来た人でした。
「子供のために自然という財産は残してあげたいけれど、やはり水害を考えるとね」
どっちつかずという市民の気持ちの複雑さを表したコメント、幸先のいい出だしでした。
夕方ということもあってなかなかインタビュー出来ずにいると 作業着を着た50代の2人の男性が湾を眺めていました。 この人たちは水害の恐怖をよく喋ってくれて、その怖さを知ることが出来ました。 最後に「やはり諫早湾は潰して欲しくない、故郷の宝だ」と。
が。。。
カメラを見つけた途端、表情は強張り、語気もまったく変わってしまったのです。 お前ら、どこの局だ。今喋ったことをテレビで流したら、どうなるか覚えておけよ!! と我々は突然恫喝されてしまったのです。
そう言われると、僕たちの取材はアポを取ってインタビューしてるわけではないので テープは破棄するしかありません。 しかし確かにこの2人は「諫早湾は残したい」と心から思っていた、 なのにその思いは口に出したら何か生活に大きな支障を来たすことになるんだなと、 背後にある政治的なニオイを僕たちは感じ始めたわけです。
この諫早湾閉門というトピックには災害対策という大義名分の裏に政治的な駆け引きや判断が介入していると。
となると、取材の方向性は自ずから変わってきます。 その時点でディレクターは素材を繋ぎに東京へ戻りました。 あとの現場は僕をはじめとするクルーの才覚と感覚に委ねられました。 僕はみようみまねでディレクターを演じます。 クルーに食事をしてもらっている時間を使って県庁・地方自治体・干拓事業本部 いろいろなところへ電話でアポ取り。 ところが、ここが日本の嫌なところで、すべてまず文書にして質問の内容をつまびらかにしろと来る。 忙殺されているのでインタビューの時期は計りかねると来る。 しかし非取材者に対し隠しだまを言うわけにはいかない。 実際そのシッポは取材の中で掴めてきていたし。 しかし関係者は引き伸ばしを計ることで逃げようとする。 結局この時は自分の中に怒りを溜め込むことで本線の取材に方向性を戻すことしか出来ませんでした。
国の機関からの連絡を待ちながら僕たちは取材を続けました。 では今度は漁師の話を聞こう、と。 だいたい自分たちの生活の場を国は奪おうとしてるんだから干拓反対の声は拾えるはずだ。
ところがこれがまったく取れない。
何箇所回っても1つも取れない。 最終的には僕たちが乗っていたジャンボ・タクシーの運転手さんに出演依頼をしました なぜ漁業をやめタクシーという陸の仕事をしているのか。
ところがこの人は非常によく相談に乗ってくれていたんだが、これに関しては首を縦に振ってくれない。 押し問答がしばらく続きました。 そして彼は、自分は答えられないがここ一帯の漁業協会の会長の家に車で運んでいってくれました。 ひとこと、自分の名前を出さないようにと釘をさすことを忘れずに。
これでようやく、なぜこの問題に漁業組合は立ち上がらないのか、なぜ市民団体や環境団体の後人を拝しているのか理由が聞けると僕たちは思いました。 ところが甘かった。 僕たちの取材方針には同調しながらもインタビューには答えられないと言う。 なにが問題なのかと尋ねるとまたとある団体の名前。 これには疲れで腰がぬける思いでした。
もうネタとしては成立しても、僕のコメントは成立しないと思いました。 知りたい部分がどうしても同じところで止ってしまう。 ほとほと困りました。
しかしこれは僕が立てた企画。 是非とも成功させたい、形だけは整えたい。 その一心で頭を下げ続けた結果、今も貝を取っているという漁師の方を紹介してもらえました。 (もちろん、会長の名前は出さない、たまたま寄ったという風にと釘をさされ、でした)
その方は僕たちの取材を拒むことなくカメラも気にせず漁民を代表して事情を説明してくれました。
騒いでいるのは地元ではない、他県のよそ者だと。 この干潟で生計を立てていた人たちは魚が取れなくなって漁業権を売ってしまった。 その漁民達に発言権はないのだ。 しかしかつてこの肥沃な海を干拓する案が持ちあがった昭和40年代、自分たちは守るべく立ちあがり 東京まで行って陳情をしたこともある。 しかし当時は米が不足していた時期であり、自分たちは「国賊」とまで言われて来たんだ。 確かに水害はひどい。少し多めに雨が降るとすぐ膝上まで水位が来てしまう。 もう、どうにもならないんだ、と。
それは今まで撮ったことのない声でした。 諫早に育ち諫早湾の恩恵を受け、それを裏切ってしまった人の声でした。 僕はその声を頼りに自分の意見をまとめ、生放送の中継で事情を説明しました。
結局僕の取材で受けた感想は泥炭が貯まるのはこの湾の宿命であり 人間の多様化した生活を守るためには閉門はやむを得ないのではないか というものでした。 しかし最後に一言、「これだけの大規模な開拓事業は本当に必要なのか疑問に残る」 とは付け加えることは忘れませんでした。 やるせなさが残った取材で、この取材の話は一緒に動いたディレクターや撮影クルーと 今でも飲むたびに出ます。
あれから5年。 農水省は去年の秋、環境面への影響などに考慮して干拓地の規模を 当初のおよそ1400haからおよそ700haに縮小した。 なぜ莫大な費用をかけておいて大きな犠牲を払ってここまで縮小するのか。 だいたい、再び水門を開けると新しい堤防に貯まった泥炭が両側で逆流するから無理であると 説明していたのは国ではないか。 これはどう考えても納得がいかない。
調査結果すらはっきりしないまま地方自治体や長崎県に予定通りの2006年事業完成を約束する 農水省はその場当たり的な対応と有明海の再生を視野に入れていない点を強く非難されるべきだと 思う。
そして最後に、このことから利潤を得た農水族の名前の内部告発を願んでやまない。
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4月15日 (月) 4月中旬
(※注: 原文日付無し)
さぼってるわけじゃないんです。 新聞を読んでても、何も心に感じるニュースがないんですよ(汗) それでも少しずつ書いていくんで、このコーナーもよろしくです。。
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4月3日 (水)
辻元清美に続き田中真紀子までも秘書給与をピンハネしてた!
この問題の根の深さを感じます、実際どうだったのかは分からないけどね、まだ。
ただ同時に、マスコミってなんなんだろうね? 田中真紀子の人気に乗じて記事を作り、新党とか女性初の総理大臣誕生か!とまで煽っておいて 今度は一転バッシングっすか?? 持ち上げたら今度はこき下ろすって、そこまで折込済みなのかねぇ そうとしか思えない、この右向け右の報道体勢。
この記事は週刊新潮と週刊文春のスッパヌキだが(これは評価)、 他の雑誌や報道番組の自分たちの足で情報稼いでスッパ抜けよ! あれだけ辻元が言ってたんだからさぁ、まだまだあるんだよ。
既存のものを報道したりあるものにぶら下がってたって なんもならんだろ?
そういう風にいろいろと義憤を感じた報道でもありました。
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