三行社説 2007. 2
2月22日 (木)  小泉発言


「支持率は気にすることはない。目先のことには鈍感になれ。鈍感力が大事だ」

「何をやっても批判される。いちいち気にするな」

「まとめようとしてはだめだ。総論は賛成でも、(各論で)必ず反対が出る。だからまとめてはだめだ」(対塩崎官房長官)



小泉純一郎氏はあまり好きな政治家ではないが、
時代の風を的確に捉えた表現が出来る能力には感心する。
その切れ味の良さを見習いたい。
また、現首相には見習って欲しいと思う。


『鈍感力』


確かにその通り(笑)

外部の雑音に耳を貸さず、やるべき我が道を行けってことでしょう。


この一言で自民党は息を吹き返すかもしれない。

キチッとした経緯をもち国民の共感を得られる行動を取って事に当たってくれれば、
何も言うことはない。


2月19日 (月)  政治家による講演という場の使い方

ネットのニュースで次のような記事を目にした。



<中川自民幹事長>「忠誠心なき閣僚は去れ」講演で苦言呈す
2月18日19時50分配信 毎日新聞


 「安倍晋三首相が(閣議で)入室したときに起立できない、
私語を慎めない政治家は美しい国づくり内閣にふさわしくない」。
自民党の中川秀直幹事長は18日、仙台市で講演し、
異例の厳しい表現で政権内の緊張感欠如に苦言を呈した。

 中川氏は「閣僚、官僚のスタッフには首相に対して絶対的な忠誠、自己犠牲の精神が求められる。
首相の当選回数や、かつて仲良しグループだったかどうかは関係ない」と強調した。

 閣僚の相次ぐ失言や、正副官房長官、首相補佐官らの連携不足が首相の指導力発揮を妨げているとの
党内の懸念を代弁した形だが、中川氏のボルテージは上がる一方。
「自分が目立つことを最優先する政治家や、野党の追及が怖くて改革を進められない政治家は、
内閣・首相官邸から去るべきだ。首相を先頭に一糸乱れぬ団結で最高峰を目指すべきだ」とぶち上げた。




中川氏の言いたいことも、内閣の窮状および現状もよく理解できる内容ではあるが、
こうした発言が党を問わず要人からなされるときに、必ず首を傾げてしまうことがある。


なぜ講演という場でこういうことを言うのだろう。
党会合、もしくは内閣府内で理解を求め一致団結することを確認すれば済む話ではないのか。
そうした場でやってしまうと、中川氏自身に問題が生じてしまうのだろうか。


小学生じゃあるまいし、首相が入室したときに起立が出来ないなんて話を外に対してする行為自体が
恥ずかしいと思わないのだろうか。
首相の入室時に挨拶がなかったということが過去の慣例であった可能性はあるが、
そういった悪しき習慣をここで一掃したいという趣旨での発言だったんでしょうか。


マスコミが立ち会う場だから、こうしたことをぶち上げ世間に対し「美しい政党・自民党」を
打ち上げるというのであれば、ちょっと小賢しいというか、ただのマイク・パフォーマンスに
捉えられてもおかしくない言動であると思う。


ましてや自民党は郵政事業民営化に反対した議員の復党に対し、
踏み絵を踏ませるがごとき契約書に判を押させた経緯がそう古くない昔にあり
そうしたことを考えると、どうも「絶対的な忠誠」といった文言は
末恐ろしく感じてしまうのは僕だけだろうか・・・


しかし中川氏の講演がどれくらいの時間行われたのか分からないが、
彼が講演で一番言いたかった内容とはこういうことだったんでしょうか。
講演会ですよね? 後援会ではなく。
講演を聴きに来ている人に対し、払った金額に見合う情報提供なりをするのが一般的ですよね。
これ以外の内容がマスコミに取り上げられていない理由はなぜなんでしょうか。


マスコミが愚鈍なの?

それとも、こんなことしか話すことがなかった講演なの?


2月18日 (日)  GPSを使っての国民統制システム

2002年にトム・クルーズ主演の「マイノリティー・リポート」という映画が公開された。
テクノロジーの発達により犯罪を未然に防ぐ省庁が設立され、
犯罪者は犯罪を犯す数十分前にコンピューターにより名前が判別され、
犯行前に逮捕される、という近未来の予想される社会の姿を描いた娯楽作品であった。
舞台となっている年号は西暦2054年であった。


ところが、40年以上も先のことではなく、このことが現実化する可能性のあることを耳にした。
日本政府は、国民の動向の一部始終を監視するために、
産まれたばかりの赤ん坊の体内にICチップを埋め込むこと、
また高齢者の徘徊防止策としてGPSタグを携帯義務化させる案を検討中なのだそうだ。


もしこの話が事実だとしたら、個人の情報はおろか、すべての個人が管理されることになる。
それはどのような未来社会を作るのだろう。


仮に実現されれば、数十年後には犯罪件数は激減するだろう。
なにしろ居場所がすべて手に取るように分かってしまうからだ。
その点は、もしかしたら社会にとって歓迎すべきことなのかもしれない。


しかし、もしその情報が持ち出されたり、要人によって悪用されたらどうなるのだろう。
場合によっては、政府にとって損害を与えるとされる人物などが捕らえられてしまう可能性もある。
そうなると、国や国民は恐怖政治に支配されてしまう。


言論の自由・表現の自由などが存在しない社会が来るのだろうか。
黒を白と言わなければならない時代が来るのだろうか。
想像しがたい話ではあるが、動向を見守らなければならない一件であることに
間違いなさそうだ。


2月17日 (土)  共闘という幻想

民主、共産、社民、国民新の野党4党は、
次の参議院選に手を組んで与党を相手と闘うことを表明しているが、
いったい主義主張の違う党同士がどうやったら協力していけるのか
甚だ疑問である。


憲法改正手続きを定める国民投票法案について、
各党は性急な結論付けは危険だとして見直すよう与党に働きかけてはいるが、
慎重な審議を求める民主・国民新党と、憲法改正自体を廃案にしたい社民・共産党の姿勢は
まったく違う。


では民主党と国民新党は同じ道を歩むのかといえば、そうでもなさそうだ。
国民新党のHPにある今年1月23日付けのコラム「さあ、6年間の総括だ」には
民主党を次のように揶揄してある。


(民主党は)本来、政府与党の責任を厳しく追及し、
政権の座を取って代わるのが野党第一党の役割のはずだ。
しかし、昨年の臨時国会でも、どうも不甲斐なさが目立つ。
内閣支持率が落ち込んでいるにもかかわらず、民主党への期待が膨らまないのは、このためだ。
だが、他人の不幸を喜ぶべきではないが、
自民党も民主党もこの体たらくだからこそ、国民新党の出番が来る。
http://www.kokumin.or.jp/column/20070124.shtml


この文言は、共闘自体が幻想であることを測らずも認めている。
与党を党利党略と責める野党も、体質的には似たり寄ったりということか。
思想の違うものが集まったところで政治をうまく動かせないことは
小沢一郎氏の反乱があった新進党の末路を思い返せば分かることではないのだろうか。


各党ともに、もっと正直であったほうがいいように思う。
自分たちの主義主張を国民に聞いてもらうという姿勢がさらに強くなったほうが
次の政治の担い手を育てることになると思う。


幻影に溺れると、まさかの一撃で共倒れになることも十分考えられる。
例えば15日に行われた参院厚生労働委員会での少子化問題に関する集中審議における
民主党千葉景子議員の愚かな噛み付きのようなもので。


千葉議員は、安倍首相が今国会の施政方針演説で語った「子供は国の宝」論に対し
「子供は経済や年金のために生まれるのでない。
子供は国のために生まれるという発想があるのではないか」と批判したのだが、
「子供は国の宝」論は民主党の政策提言の重要な柱である。

参考資料:http://www.dpj-tokushima.jp/sengoku/syouni-setumei.html
「1.小児医療の現状と認識」


『「子どもは国の宝」「チルドレン・ファースト」という視点から、
民主党は子どもの安全や子育て支援について最優先課題として取り組んでいる。』



この人は、自分の党の政策も理念も理解していないことを暴露してしまったわけだ。
いや、理解以前に、党の政策を「読んでいない」「勉強していない」ことを
全国民の前で告白してしまったのだ。


こうした人物が属する党を持ち上げようとする党は哀れである。
かかなくて良い恥をかかされたようなものだ。
離党を申し入れるなどの申し入れくらいの行動を起こさない限り
勝てる戦も勝てません。


さぁ、そろそろみんな、正直になったほうがいいと思う。


2月15日 (木)  「あるある」は「ないない」


フジテレビ系の人気番組「発掘!あるある大事典II」が
事実を誇張した内容を放送したことで打ち切りになった。

テレビ界での事実の捏造は、これが初めてのことではない。
僕が関わった番組でも「演出上の理由」で、過去に何度か経験したことがある。
だから、こうしたことは「あるある」である。
だからこそ、1回の捏造が打ち切りにまで発展するということは
よほどの決断だと思っている。

フジテレビが良心ある放送局だからなのか。
関西テレビが取るべき行動を示したからなのか。
慣例では、不祥事が起きた場合、二度と同じ過ちを起こさないと謝罪を行い
番組は続行させるという形を取るものである。
それをまったく別の形を取って解決させた理由というのは
例えば番組枠のスポンサーである「花王」が、イメージダウンを恐れて
提供を断念する決定を即座に下したからと考えるのが自然ではないかと僕は考える。


ではなぜ番組は事実を歪めてまで放送に踏み切ったのだろうか。


担当した制作会社の人間が異常な人間だったのだろうか。
私怨を持ち、一泡食わせてやりたいと思ったからなのか。

事実は違うのだろう。
おそらくディレクターや制作会社は、
局の意向により異常にさせられてしまったんだと思う。


会社が利潤を上げるためにはコストを削減する必要がある。
しかしここ数年、特に下請けに対するコストの削減は目に余るものがある。
安く・面白いものを製作しないと局から仕事は回ってこない。
当然ながら無理が生じてくる。
1つのインタビューを撮影するのにクルーを1班用意すれば
車両代・撮影費・人間の拘束料・飲食費・人件費などが数十万単位、
あるいは百万単位でかかってくるのがこの業界だ。
制作会社はカツカツの中で撮影を行っていることがほとんどなのだ。
こうした制約の中での製作を強いられた場合、
視聴率を稼げるような面白いものを安く作るためには
嘘だと分かりながらも安易な方法に走ってしまうこともあるのだろう。
僕は今回のケースはこういうことだと思っている。


事実の歪曲が1つのテーマに止まらず、複数にまたがると聞き
唖然とせずには入られない。
どんな情報を信じればいいのだろうか。
その世界で僕は何を信じて働けばいいのだろうか。
視聴率を追うことは企業を大きくするために必要であるなら、それを僕は否定はしない。
しかし、マスコミ界全体、またそこで働く僕の行動に悪影響を生むような行動や言動には
高視聴率を稼ぐ番組だからこそ慎重な対応が求められてしかるべきである。


憂いを通り越して腹立たしく思うことがある。
それは、この件に対するテレビ局の対応である。
これだけ大きな事件に発展しているというのに、
フジテレビ及び関西テレビの役員で辞意を表明した人物がいないのである。
これは「ないない」である。



関西テレビのHPによれば処分は以下の通りと書かれてある。



                                    2007年1月23日
「発掘!あるある大事典II」での不祥事に関連し、決定した処分について

                  記

               代表取締役社長  千草 宗一郎(ちぐさ そういちろう)
               役員報酬30%カット3ヶ月とする。

専務取締役(社長補佐、コンプライアンス担当) 山本 紘(やまもと ひろし)
役員報酬10%カット3ヶ月とする。

常務取締役(営業局・東京支社担当) 志村 義奉(しむら よしとも)
役員報酬10%カット3ヶ月とする。

常務取締役(編成局・制作局担当) 岡林 可典(おかばやし よしのり)
取締役に降格し無任所とする。


<役員担務の変更について>

取締役(事業局担当) 福井 澄郎(ふくい すみお)
兼 編成局・制作局の担当とする。

以上

社員の処分について

制作局長 解職
編成局長 譴責
東京支社長 譴責
東京支社制作部長 解職
東京支社制作部プロデューサー 解職
東京支社制作部員 譴責

以上  (http://www.ktv.co.jp/070123_04.html



制作局長や東京支社制作部長、東京支社制作部プロデューサーは解職とのことだが
関西テレビの代表取締役社長千草 宗一郎氏は役員報酬30%カット3ヶ月のみである。
降格人事も行われているが、これでは詰め腹を制作現場に詰め腹を取らせただけではないのか。
これで世間に示しがつくのだろうか。
企業で不祥事が行われた際に取締役など役員の引責辞任をニュースで取り上げる会社が
果たしてこれでいいのだろうか。


社会に与えた事の重大さを理解し、会社の毅然とした態度と責任をを示すのであれば、
関西テレビの取締役はもちろんのこと、
フジサンケイグループの長も辞任するくらいの行動力があってもいいのではないかと僕は思う。
そうしたことは決して無駄にはならない。
会社の潔さを示すばかりではなく、事実の歪曲という傾向に対し歯止めになると思うからだ。

自らの利益を守る姿は美しくない。
時代の先端をひたすら走るそうした会社だからこそ、
責任感についても先端を走って欲しかったと思うような
非常に残念な一件であった。




2月13日 (火)  来る参議院選挙について


受験指導が終わったことで
こちらのページの更新も出来るようになりました。
今年は長文でなくとも、日々感じたことを出来る限り多く載せていきたいと思っています。

そう言いながら、今回は長文になりそうです。
もう終わった話なので、長く悩んだこのことをようやくお話しすることが出来ます。


僕に対し、参議院選への正式な出馬要請がありました。
去年の12月のことです。
要請をかけた党の名前は伏せます。
与党ではなく野党です。


関係者の方と電話でお話をしたり、議員会館に足を運び趣旨・主義・主張を伺いもしました。
話をしてくださった代議士の弁の切れ味、また政治に対する思いの強さに心打たれ
真剣に出馬を現実のものとして考えました。


僕はアンチ自民党です。
アンチという言葉の意味は「アンチ巨人」の言葉の響きに似ていまして
できれば自民党を支持したいが、今の状況では難しいという意味を含んでいます。
日本の高度成長期を支えてきたのは良くも悪くも自民党だと僕は思いますし、
現に今こうやって社会の恩恵を受けていることについて、有難く思っています。
しかし、リクルートのあたりからだったか何かおかしいと考え始め、
気持ちはともあれ票を投じるという行動においては反自民の立場になりました。
僕は長くこの姿勢で物事を考えてきました。


そんな自分を自民党支持者に戻してくれたのが安倍内閣でした。
安倍さんに前々から期待を寄せていました。
「人材再生」「教育改革」
この2つのスローガンは前政権の「骨太の改革」を凌ぐインパクトの強い優秀な目標でした。
まさに時代が欲している思考だと僕は感心しました。


しかし日が経つにつれ、期待は失望に変わっていきました。
国会の答弁を、用意された言葉でなく自分の言葉で語ろうとする姿勢は評価しますが
簡単に気持ちを荒げてしまう、
言葉に切れ味がなく実務レベルの話よりも大枠での抽象論が多い、
党内での不必要な発言をする代議士に対してリーダーシップは示せない、
少子化問題とホワイトカラー・エグゼンプションを関連付ける、
参院選に勝てないからと討論が絶対に必要な事柄をすべて先送りしている、
決め事に対しては旧態依然たる数の論理で押し切った、
教育改革の名の下に教育再生会議を発足させたものの
パネラーの意見を反映させず官僚が用意したものを決定事項のような形で発表させた結果
会議参加者から猛反発を食らっただけでなく、教育基本法の改定を進める理由は
日本国憲法改正のための手段に過ぎないと匂わせてしまった、
こういうことが立て続けに出てくる中で、僕はとても支持できないと思ってしまいました。


僕は安倍政権が前述の2つのスローガンを崩さないのであれば
政権を長期安定させるために自分も政治に関われないだろうかとまで考えていました。
ですので、失望感はなおさら大きかったのです。



そんな時に野党からの出馬の打診を戴きました。


本当に迷いました。
答えを出すまでに1月末まで5週間の時間を頂き、考えに考えました。
問題は、自分にまったく馴染みがない地区に小選挙区のみで立候補するという点でした。
後ろ支えはあるといっても、政治に対してはズブの素人が選挙に勝てるのだろうか。
主義主張は持っていても、芸能界に属するという特性がかえって足手まといになりはしないか。
2月から政治行動を起こしたとして、ドブ板をやったところで7月に間に合うのだろうか。


また別の角度からの問題もありました。
もともとは自民支持の形で思考を動かせていた自分が、
自民に失望したところに他党からの要請があったから出馬してしまうことは
自分の中に割り切れない感情、つまりは節操のなさであったり志向の180度転換による自己バランスの欠如、
を生み出しはしないだろうか、ということでした。
当選するためには、自分の主義主張や具体的な政策を語るよりも
手段を選ばず感情的に自民党をカウンター・アタックすることのほうが多くなりそうなことも割り切れませんでした。


出馬に対する回答の期限である1月末になっても答えは出ませんでした。
出馬の要請をいただくこと以上に光栄な話はありません。
これ以上回答を引き延ばすことは党に迷惑をかけるし、
敷いては自分の政治活動の時間を損ねることになり、自分で自分の首を絞めることになる、
そう考えては、党が行っている街頭演説に足を運び、自分の意思決定に全力を注ぎました。



そうした行動を取っていたさなかの1月27日、あの柳沢発言が耳に入りました。



ソースはインターネットの記事でした。
所見では発言に憤慨しました。
でも記事を読み返してみると、「女性=産む機械」発言の前後に柳沢さんは
きちっとエクスキューズを入れてるんですねぇ。
口から出た言葉はお粗末極まりないが、僕には配慮は感じられました。
だからたとえそういうことが口から出たにしても、
人間だもの、間違うこともあれば疲れて口が滑ることもあるよ、と思ったわけです。
ところが懸念していた通りに、マスコミと野党が許さなかった。
柳沢大臣はおろか安倍内閣の責任論まで飛び出してきた。
そして挙句の果ては野党による補正予算国会への出席のボイコットへと続くわけです。


この野党の姿勢を見て、僕は出馬をお断りする決意を固めました。
申し訳ありませんが、予算決定をボイコットする野党はとても国民の側を向いていると思えません。
予習も何もいらない、三文週刊誌ペラ記事程度の知識さえあれば語れる事象を盾に取り
国会を空転させる野党をどう支持すればいいんでしょうか。
柳沢大臣の発言は問題ではありますが、政治を空転させる野党の罪のほうがはるかに重いです。
ここは絶対に譲れません。


僕は、僕に出馬要請をかけた党が独自の考えを示し、
本来ならボイコットすべき内容を含む発言だが、国民の圧迫された生活現状を考えると
国としての仕事を全うすべきだと考えると言って出席すべきだったと思います。
それは党にとってもアピールになったはずです。
また逆に、自民党内の人間の中にこそ柳沢発言に憂いを感じ国会に出席を見合わせるような議員がいて
当然だと思うのです。
そうしたことが「政治」だと僕は思うのです。
この点は政治および政治家に対する失望・不信感、社会の求心力の欠如につながると思います。



ようは揚げ足取りですよ、この行動は。
いや、そうじゃないよ君は事の重要性を分かってないな!と怒鳴られるんでしょうか。


ではね、この一連の行動を子供たちが見て、


「あぁ、先生が変なことを言ったら、全員で授業をボイコットしちゃえば試験範囲が短くなるってことか。
 大人が困る姿は面白そうだし、やっちゃえやっちゃえ政治でもやってるし」


って思ったとしたら、どう責任を取るんですか? どう対応するんですか?



学校だったら一教員の不祥事ということで校長なり教育委員会などが対処に踏み切ることは可能でしょうが、
トップの政治家を抑えられる人はいませんからね。


僕は芸能界には属していますが、教育者でもあります。
教師が子供に説明つけられないようなことを国を守る政治家たちにやって欲しくないと思います。
政治家のすべての行動・言動が、何かしらの形で育てるべき子供たちに影響を及ぼす可能性があります。
国の長として、国の最高職に就く者としてそうしたことをもっと真剣に考えてくれないと、
何を語っても日本は良くならないと僕は思います。


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